埼玉県の吉見町といえば、「埼玉のカッパドキア」として知られる吉見百穴が有名ですが、そのすぐ隣に岩室観音という建物があります。観音堂という名前の通り、本尊として観音様の祀られた懸造りのお堂がなかなかに壮観で、岩殿山・安楽寺の吉見観音を訪れたついでに立ち寄ってみました。
どうにもこの周辺は、吉見百穴や百穴温泉などマニア垂涎のディープスポットが点在しており、件の岩室観音もそんな怪しい物件のひとつとして紹介されているのを目にするものの、霊感が強い自分が何も感じなかったので心霊云々を期待するのも的外れだと思うし、懸造りの建物は写真の通りに堂々たるもの。妙な偏見を持たずに訪れるのが吉でしょう。
道路のすぐ眼の前に建っているのですが、吉見百穴の広い駐車場(無料)からも眺められる距離にあり、車で訪れるのであればまずは吉見百穴の駐車場に停めて少し歩くのが良いと思います。
龍性院の境外仏堂として岩を穿って建てられたこのお堂のはじまりは、弘仁年中(810年から824年)と伝えられるものの、確かな記録は残っていないそうです。松山城主が代々信仰し護持していたものが、天正18年、松山城の攻防戦の際に兵火にあって焼失。現在見ることのできるこのお堂は、江戸時代の寛文年間(1661年から1673年)に建てられたものとのこと。江戸時代には珍しい懸造りと看板にはありましたが、このあたりはよく分かりません。印象としては長野あたりにこの懸造りの観音堂がたくさんあるような気がするのですが、時代考証などはどうなのか、今度暇があったら調べてみようと思います。
お堂を入って両隣には薄暗い洞がありました。四国八十八箇所弘法大師巡錫の霊地に建てられた寺の本尊を模したという石仏群がズラーッと並んでいるさまは、ちょっと怖いといえば怖いかもしれません。もっとも自分が訪ねたときには、後からスマホを手にした若者が一人でふらりとやってきて、ケータイのシャッター音をパシャパシャ響かせながら写真を撮りまくっていたのでそうした風情もありませんでしたが。
急な梯子をのぼってお堂の二階に行くと、観音様が祀られているとおぼしき場所があったのですが、川からの風に吹きさらされてか痛みがひどく、がっちりと施錠された格子の向こうにある筈の観音様もよく分からず。お堂を吹き抜けていく隙間風が妙な音をたてていて、下の石仏群よりもこちらの方がちょっと怖かった気がしたのは内緒です。
お堂の奥にはハート型にくりぬかれた穴があり、「胎内くぐ」との看板が。中年の自分は遠慮しておきましたが、ヤングであれば試してみるのも一興かも知れません。