徳一上人の名前を初めて眼にしたのか確か、柳津の圓蔵寺だったと記憶しています。徳一上人については本などの資料が甚だ少ないながらネットでいろいろ調べてみると、会津にある多くの寺の建立に縁があり、また最澄には激烈な議論を挑んだとのこと。最澄といえば、当時は体制派側の人間だった筈で、それに臆することなく論争を叩きつけるというアグレッシヴな生き様に惹かれ、よし、これからは会津を訪ねるたびに彼の足跡を辿ってみることにしようと思い立ったのが今年のはじめ。
鳥追観音や勝常寺など徳一上人ゆかりの寺はは少し前からぽつぽつと訪ねていたのですが、磐梯にある慧日寺だけはまだでした。慧日寺といっても、明治の廃仏毀釈でいったんは廃寺となっているので、今かたちを残している慧日寺金堂や中門などは、最近になって再興されたものゆえ、その場所に立って昔日の思いに浸ることはかなわないものの、まずは磐梯山慧日寺資料館でもう少し徳一上人のことを知ることができればと思い、今回訪ねてみた次第です。
磐梯山慧日寺資料館は、道の駅ばんだい 徳一の里きらりからさらに奥へと入ったところにあり、車で行くのもそれほど難しくはありません。坂の下にある資料館と、金堂・中門の二カ所に駐車場がありました。もちろん磐梯山慧日寺資料館の駐車場に車を停めて、馬頭観音の建物を横に観ながらゆっくりと坂を登ってくるのもアリですが、今回は暑さがハンパではなく熱中症になってはタマらないというわけで、まずは磐梯山慧日寺資料館の隣にある駐車場に車を停めてそちらをひとわたり眺めたあと、再び車に乗って金堂・中門を目指しました。
資料館の設立は昭和六十二年とのことですが、展示ホールには慧日寺の歴史や徳一上人の生い立ちはもとより、慧日寺の文化財や年中行事についての紹介をまとめた展示室もあります。2016年現在、入場料500円を払えば、磐梯山慧日寺資料館と金堂・中門の両方を回ることができるのがとてもイイ。
今回の旅カメラは記事のタイトルにもある通りsd quattroにDSC-RX1を選びました。DSC-RX1を持っていったのは、咄嗟に暗い場所で写真を撮る必要があったときのことを考えてだったのですが、実際はほとんどsd quattroだけで十分でした。というのも、今回はα6300につけていた17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSMではなく、SIGMA 18-35mm F1.8 DC HSM を選んだからで、F1.8であればたいていのものはISO100-200の間で撮影を済ませることができます。sd quattroの実戦投入と相成った今回の旅でしたが、DSC-RX1やα7sといったSONYのフルサイズセンサーのカメラに比較すると、やはりハイライトが飛びやすいような気がします。自分はα6300にも同様の印象を抱いているので、これはsd quattroに限らず、APS-Cサイズのカメラは、というべきなのかもしれませんが。この点についてはもう少し使い込んでから再度感想を述べてみたいと思います。
鮮やかな朱色が夏の陽光に眩しい復元金堂は床板も真新しく、靴を脱いであがることができました。ただ、中に仏像が安置されているわけではなく、でっかいポスターがデーン!と吊されているだけなのがちょっと寂しい。いつかホンモノの仏像がここに鎮座すればいいなァ、……と感慨を深くした次第。
徳一廟はずっと奥にあり、蜂がブンブン飛んでいるので夏秋は注意。この下に薬師堂と仁王門があるのですが、この日は時間が迫っていたので次回へのおあずけとして、資料館の近くにある馬頭観音復堂を拝観して今回は終わりとしました。