岩谷観音堂から善光寺までは上信越自動車道を使えば一時間と少し。この道は先月訪れたときに使っているので慣れたものです。高速を下り、町中に入ると若干の渋滞がありましたが、都内のそれに較べれば遙かにマシ。前回は善光寺の裏の方にある駐車場に停めたのですが、今回は長野駅と善光寺の中程にあるTOiGOパーキングを使ってみました。しかしここから善光寺はいささか遠すぎたので、これはちょっと失敗だったかもしれません。
前から吹きつける北風にひいひい言いながらどうにか善光寺の仁王門に到着。個人的には山門のたたずまいよりもこちらの仁王門の方が好みです。
山門を入ったところから続く表参道の土産物屋は、午後の三時半になるともう店じまいを始めていました。以外と早く閉まります。
前回訪れて気に入ったのが表参道を左に入ったところにある大進進で、護摩堂には不動明王が祀られてい、祈願を頼まなくとも靴を脱いで不動明王像を拝むことができます。せっかくなので憶え立ての聖不動経を般若心経とともに納経することにしました。なんでまた聖不動経を覚えたかというと、来年の酉年は関東三十六不動の総開帳が行われるからで、これを機に不動尊巡りを始めてみようと考えているのです。
先月訪れたときはあまりの団体観光客の多さに本堂のなかをゆっくり見ることも出来なかったのですが、今回は意外に人がいなかったので、お金を払って内陣から御三卿までざっと見廻したあと、お戒壇巡りを体験しました。しかしこのお戒壇巡り、思いのほか真っ暗闇で、まさに漆黒という言葉がふさわしいほどの凄まじさ。まったく光も何もないところを中腰で進むわけですが、右手を壁にぴったりと添えたまま「極楽の錠前」を探ります。ちなみにこれについては、善光寺のサイトに以下の記述あり。
お戒壇巡りとは、瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡り、中程に懸かる「極楽の錠前」に触れることで、錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際にお迎えに来ていただけるという約束をいただく道場です。
一応見つけることができたので、結縁を果たせたということでしょう。ずっと中腰でいたものですから膝がガクガクになっていたため、内陣の畳の上で足を伸ばしてくつろいでいたところ、改札のところにいたお寺の人がやってきて曰く、「これから法要があるので、よろしかったらご一緒に手を合わせてください」とのこと。すっかり足を伸ばしていたところを叱られるのかと思っていたので(^^;)一安心。正座をして待機していると、鐘が鳴らされ法要が始まりました。お坊さんが唱えはじめたのは般若心経だったので、これはしめたとばかりにこちらも合わせて読経することに。
読経が終わると、チョーン!という音とともに戸帳があがり、秘仏の御本尊である一光三尊阿弥陀如来像がチラッと姿を現しました(本当に一瞬)。この秘仏、ふだんは見ることができないのですが、法要があるときだけはこの戸帳があげられ拝むことができるのです――ということをこのときに知りました。秘仏だから当然見ることができないものと思っていたのでこれは得した気分です。
というわけで、二回目の善光寺参りも大満足で終えることができました。妻はお戒壇巡りで「極楽の錠前」を探り当てることができなかったようなので、また長野を訪れる機会があれば是非とも再挑戦してみたいと思います。