酉年の今年は十二年に一度の総開帳が行われるとのことで、先月から仏説聖不動経も覚えて関東三十六不動のお詣りに備えていたのは少し前のストーリーに綴った通りです。となると、やはり最初に訪れるのは第一番となる雨降山・大山寺がよかろうということで、先週の木曜日に正月出勤の代休を取得できたのを幸い、軽い気持ちで大山散歩に行ってきました。
大山といえば大山寺よりも阿夫利神社の方が有名で、お不動巡りを目的に大山を訪ねる人は少ないかと思うのですが、この日はケーブルカーに乗り込む人の中になぜか背広姿のサラリーマンもちらほら。寺や神社に出勤する人が背広姿というのも奇異なものですから、いったい何事と感じていたのですが、その謎は大山寺に到着するや氷解しました。
背広姿の人たちは地元の会社の人たちで、どうやら新春の護摩祈祷に訪れた様子。ご本尊の不動明王が安置されている本堂の中を覗くと、背広姿の人たちが護摩壇を前に膝を正して座っていました。
ややもするとお坊さんが姿を現し、威勢の良い法螺貝の音とともに護摩祈祷が始まりました。この様子を見るのは始めてて、ちょっと得した気分ながらも、この日にためにと覚えてきた仏説聖不動経をご本尊の前で唱えることができずちょっと悔しかったのは内緒です。
しばらく護摩祈祷の様子を拝観したあと本堂の外に出てみて超吃驚。何と何と、お坊さんの気迫のこもった読経が、マイクを通して本堂に据え付けられたスピーカーから超大音量でガンガン流れているではありませんか。”本職”の般若心経を生で聴くのはこれが二度目。数年前に川越の喜多院を訪れたおり、お坊さんが唱えていたのを聴いたことがあるのですが、あのときが朗々と歌い上げるような調子だったのに較べると、大山寺の護摩祈祷の読経はまさに「呪文」。腹の奥から絞り出すようなだみ声で延々と「のうまくさんまんだ……」と不動明王の真言が繰り返されるさまはまさに圧巻ながら……ちょっと怖い(^^;)。おまけにこのスピード。むちゃくちゃ早いです。マシンガンのような、という形容が相応しいほどで、この真言を唱える声が大山に響き渡るさまは日本のお寺というよりは、ちょっと台湾っぽいというか、アジアンっぽいというか。
この日に撮った写真は甚だ不満足なものばかりで、ここに挙げるかどうかも悩んだのですが、せっかくお詣りしたのだからあくまで備忘録代わりに、ということで、今更ながらこうして駄文を綴っている次第です。
やはり自分にとっては納経と写真撮影がセットゆえ、納経を済ませないまま撮影に及んでも今一つ気乗りしない。そんな気持ちはまた如実に写真に反映されるものだから溜まりません。写真撮影というのはシャッターを押すだけという、一見すると簡単なおこないに見えながらその実、撮影者の気分に左右される、多分に”芸術的”なものなのでしょう。
というわけで、今回のお詣りは、納経もままならず写真も満足いくものはなしと、ややほろ苦い結果に終わりましたが、今度は軽い山登りも兼ねて阿夫利神社とともに再訪してみたいと思います。